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2009年09月15日

レスラーズメモリー移転のお知らせ

ZERO1 NEWSをありがとうございます。
このブログのカテゴリーで続けられてたレスラーズメモリーが移転されます。
今後のレスラーズメモリーはこちらからお楽しみ下さい。
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今後もZERO1 NEWSを宜しくお願いします。
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2009年07月12日

第8回レスラーズメモリー 崔領二「二週間の親友」

もう10年以上前の話になりますが・・・・


イギリスの高校へ通っていた頃の話。


「来週、日本人の女の子が短期交換留学でニ週間だけ来るから、仲良くしてくれ」とイギリス人の先生から頼まれました。


外国人がほとんどいない、イギリス人だらけの学校にやってきた一人の女の子「恵理さん」



彼女はニュージーランド生まれニュージーランド育ちで、日本へは中学の時から住み始めたそうで、日本語も英語もペラペラ。


世話するどころか、毎日のように宿題を手伝ってもらってました・・・・


とにかく明るく元気な女の子で、たったニ週間でしたが毎日のように一緒にいて、元気にしてくれました。


すぐに校内の人気者になった彼女・・・・でも友達が少ない僕といつも食事をしてくれて、優しい子でした。


いつも悩みを聞いてくれて、励まされた毎日・・・・でも彼女は一切愚痴を言わない。 そんな強く優しい心の持ち主で、本当に尊敬してました。


ニ週間が過ぎたある日、彼女は突然、さよならを言わずに去っていきました。


一部のイギリス人生徒には最後の挨拶を済ませたのに、いつも一緒にいた僕だけには何も言わずに急に去って行きました。


しばらくショックで、何も手につかず・・・・最後に失礼な事したかな? なんて考えてもわからず。


連絡先も交換していないから、何も聞けないし・・・・


そして一年ほど過ぎ、卒業を迎えたある日、卒業準備で荷物を整理していると、学校郵便係員が「ずっと前に君宛てに来てたよ」と紙袋を持って来ました。


手紙以外の郵便は学校管理郵便所まで各自が取りに行くルールだったらしく、そんなルールがあった事をそのとき初めて知った訳で・・・・


その紙袋は郵便ではなく恵理さんが自ら郵便所に持ち込み、預けたのだそうです。


急いで中を開けると、そこにはメッセージカードと服が入ってました。


「短い間でしたが、本当に楽しかったです!ありがとう。また縁があれば、必ず再会すると信じてます。さようならは言いません。ありがとう!」確かそんな内容で、連絡先は一切書かれてませんでした。


Image028.jpg「大好きなスポーツをするときに是非着て下さい」とプレゼントしてくれたタンクトップ。 今ではすっかり体が大きくなってピチピチですが、大切にしてます。


29年の人生の、ほんのニ週間でしたが今でも忘れられない出会いです。


今もどこかで元気でいてくれてる事を祈ってます。


残念ながら20代のうちに再会は出来ないかも知れませんが、いつかまた会えたら、その時はタンクトップの御礼をたっぷりとしたい。 そんな思いでいっぱいです。


さて、次回は浪口修選手に回したいと思います。

それでは次回もお楽しみに。
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2009年07月11日

第8回レスラーズメモリー 崔領二編は12日午前0時更新

少年時代、誰もが経験したであろう思い出を語ってくれた笹崎勝己レフェリー。

ジョーズフィギュアに限らず、ビックリマンシール、キン消しなどヒット作があれば、二匹目のドジョウを狙うのはいつの時代も同じことですね。

そして、笹崎レフェリーからのバトンを受け取ったのは「レスラー」崔領二選手。

崔選手は知られざるイギリス留学時代の話を語っています。

第8回レスラーズメモリー崔領二編は12日午前0時更新予定です。


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2009年07月05日

第7回レスラーズメモリー 笹崎勝己「JAWS」

どうも、趣味&特技は睡眠の笹崎です。
「レスラーズメモリー」をレスラーではない僕が書いていいのだろうか?
と思いましたが、大谷社長からご指名を受けたからには張り切って書きたいと思います。


あれは僕が小学生の頃。1975年の事でした。
その年の12月に公開された映画「JAWS(ジョーズ)」が話題になっていました。今みたいにインターネット等が無かった時代、情報源といえば雑誌かテレビ、口コミだけ。公開される半年位前から『アメリカでジョーズっていう映画が大ヒットしているらしい』とか『映画の影響で海水浴場がガラガラらしい』などの噂が飛び交っていました。
海水浴でごった返すビーチに巨大な鮫が出現!金髪美女大パニック!なんて映画は、東京の端っこ、板橋区赤塚でろくに勉強もせずに遊んでばかりいた僕らボンクラ小学生には、たまらなく魅力的でした。

「今度やるジョーズって映画が滅茶苦茶面白そう!」「絶対見に行きてぇ〜!」とクラスの中でも話題騒然。断片的な情報で頭の中がパンパンに膨れ上がった頃、いよいよ公開になりました。
早くも見に行ったクラスメートが「すげー面白かったぜ!」等と興奮しながら喋っているのを聞いて、僕も一刻も早く見に行きたい!と父親に懇願。冬休みに入ってまもなく、渋谷の映画館に父親とともに行くことに。

shark.jpgやっと見られた「JAWS」は最高に面白かった!大満足で映画館を後にしました。
冬休み明けにはクラスのほとんどが見に行っていて、ひとしきりまた盛り上がりました。
映画は大ヒット。近所の駄菓子屋でどう見てもオフィシャルじゃない鮫のソフビ人形が売られるほど。誰が買うんだそんなもん、とお思いでしょうが買いました、私・・・。
銭湯に持っていって、あのテーマ曲口ずさみながら海面から顔を出させたり(お湯ですが)
友達のミクロマンに襲い掛かったり、深い方の浴槽で平泳ぎしている奴の尻に噛み付かせたり、とよく遊んだものです。もっとも1週間もすれば飽きてしまい、押入れに放置したままになってしまいましたが・・・。

この後、ジョーズの大ヒットにあやかって熊だの、蜂だの、ミミズだのが人間を襲う、という映画がこれでもか!と公開されましたが、どれもこれも安易な二番煎じでしたね。
また僕らも単純だからか、ほいほい宣伝に騙されて見に行っては激しく後悔する、そんな事の繰り返しでした。
「俺の青春の貴重な時間を返してくれ!」と言いたくなるようなものばかり。
こうやって大人に騙されながら成長していくんだなぁ、と思いましたね。


こんな事書いていたら無性にもう1回見たくなったんで、これからTSUTAYAに
行って来ます。
また会場でお会いしましょう。さようなら。



あっ!次の人を指名するのを忘れる所でした。
もう1回大谷さんに回そうかと思いましたが、怒られそうなので別の人にします。

それでは、レスラー崔領二選手でお願いします。
次週もお楽しみに。

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2009年07月04日

第7回レスラーズメモリー 笹崎勝己編は5日午前0時更新

新弟子時代の情熱を語った大谷晋二郎選手からのバトンを受け取ったのは笹崎勝己レフェリー。

笹崎レフェリーの少年時代の意外な思い出とは・・・?

第7回レスラーズメモリー笹崎勝己編は5日午前0時更新予定です。



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2009年06月28日

第6回レスラーズメモリー 大谷「新弟子時代。」

レスラーズメモリー(;^_^A。


何を書こう( ̄〜 ̄)ξ。

別に書くことがなくて困っているのではない。

どちらかと言うと書くことがあり過ぎるのである。

昔から毎日新しい出会いや新しい発見に飢えている僕には皆さんに伝えたいことがたくさんある。

……。

……。


うん!決めた!

今回は僕が小さな頃からの夢であったプロレス界に入門してからの練習生時代の話を語らせていただこう。


僕が新日本プロレスに入門したのは1992年2月。


厳しい入門テストに合格してこの同じ日に入寮したのは僕を含めて5人。


その当時の若手のコーチ役は馳浩さんと佐々木健介さん。


とにかく朝から夜中まで気の休まることがない毎日だった。


しかしそれと同じ位に小さい頃からの憧れの世界に今僕はいるんだとの嬉しい気持ちがあったのも事実。


それに親の反対を押し切って山口の田舎から飛び出して来た僕には帰る場所もなかった。


だからこそ何があっても絶対に諦めない気持ちだけは変わらない自信があった。


しかし練習の厳しさはもちろんのこと日常生活での上下関係や雑用も僕の想像を越えていたように思う。


ちゃんこ番になった日には、先輩が食事をされる時に側でジッと立って待機。そして、他の先輩がお風呂に行かれる時には風呂場に走り浴槽の湯加減チェック。


山のような洗濯物。


次々と用事を言い付ける先輩方。


たしかに気の休まる時間はなかったが、確実に僕はこの新弟子期間で色んな勉強ができた。


そんな中1週間後には5人いた新弟子が3人になり、1ヶ月後には2人になった。


その残った2人が僕と高岩。


この時代を生き抜き、今この大好きなプロレスの世界で生きることが出来ている。


だからこそ僕は幸せ者なのだと胸を張っていつでも言えるのである。


なんかレスラーズメモリーっぽくない内容だったかな(;^_^A。


でも一生懸命記させていただきました。


さて次回のレスラーズメモリーの執筆者を発表しましょう。


次回は少し変化球でこの人にバトンを渡したいと思います


我がZERO1のスーパーアイドルであり特技は睡眠、趣味も睡眠のあの人。


癒しのレフリーことタイガー勝己。


笹崎勝己レフリーにバトンを渡します。


笹やん!宜しくお願いします(^-^)。
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2009年06月27日

第6回レスラーズメモリー 大谷晋二郎編は28日午前0時更新

レスラーズブログで植田選手にバトンを渡した大谷選手。

今度は逆に大谷選手が植田選手からレスラーズメモリーのバトンを受け取ることに!

毎日を熱く生きる大谷選手の思い出とは・・・

そして、掟破り?のバトンを渡す相手とは?

第6回レスラーズメモリー大谷晋二郎編は28日午前0時更新予定です。



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2009年06月21日

第5回レスラーズメモリー植田使徒編「レスラーになれた場所」

チャス!!

シトです!

田中さんからのバトンを受け継いで、語る今回のレスラーズメモリー。
田中さんからということもあって、自分がプロレスラーになるきっかけともなったあの場所のことを書きます。

自分が、中学一年生の時、地元である新見市民体育館にFMWが試合に来て、生まれて初めて生でプロレスを観ました。

その時は、それほどプロレスが好きというわけでもなく、テレビなどでも活躍していた大仁田厚さんが来るからという理由で何の気なしに行った程度でした。

しかし、その出会いはもう自分にとってはとても衝撃的で、試合を観戦後には『プロレスとは戦いを通じて、こんなにも人を感動させることができるんだ!もう、これしかない!プロレスラーになるしかない!』
と、勝手に思い込んでしまいました!

この時、田中選手も出場されていました!

そう思うと何か不思議な感じがしますね!

それから10年以上の月日を経て、自分がプロレスラーになるきっかけとなった場所で試合を出来たこと、家族や友人たちの前で試合を出来たことは何よりの誇りだと思っています!

そして、この場所で戦えたことで自分がプロレスラーになれたんだということを改めて痛感しました。

次、新見に帰るときはもっともっと強くなって必ず、故郷に錦を飾れるようにしたいですね!


次週は大谷さん宜しくお願いいたします!


003.jpg
画像はプロレスラーを目指すきっかけとなった地である新見市民体育館にて試合をする植田選手。

デビュー間もない植田選手は第1試合に出場。負けはしたものの、真っ向から先輩選手にぶつかっていく姿を新見の皆様に届けました。

2007年11月9日
岡山・新見市民体育館
○佐々木義人[7分55秒 逆片エビ固め]植田直幹(※当時)×

なお、植田選手の試合の模様や地元新聞への記載は新見化学工業のホームページに詳しく記載されています。

http://www.niimikagaku.co.jp/event/2007/niimi_zero1max.htm


◆都合により、レスラーズメモリーが先になりましたことをお詫びいたします。なお、佐藤耕平選手のレスラーズブログ「携帯電話と私」は水曜日に更新いたします。
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2009年06月17日

第4回レスラーズメモリー 田中将斗編「デビューの場所」

佐賀スポーツセンターの会場で練習生数名でスクワットをやっていると、ターザン後藤さんがやってきて「サンボ(サンボ浅子さん)が欠場するから、一人たりなくなる。田中、お前今日リッキ-とデビュー戦な。」って突然言われた。

練習生がデビューが近付いてくるとコスチュームやシューズ一式を持参して巡業に出るように言われているのでそれは問題なかったけど、急に言われ、数時間後にはデビュー戦。

練習中に言われたので気合いが入るかと思ったら、緊張で逆に練習もただこなしているだけみたいな、心ここにあらず状態だったような…。

控室はと言うと、スケートを貸し出す部屋みたいな所でスケートシューズがたくさんおいてあり、あまりスペースがなく試合が近付いてくると緊張で大仁田さんがいるのも目につかなくて目の前を行ったりきたりしてて、「お前ちょっとじっとしてろよ」みたいな感じで怒られ、試合も練習で覚えたものを全然だせなくて情けなかったなぁ。

そして数年間、毎年のように同じ場所に行って試合をしていたのに、何年か前にその場所は取り壊されたらしく、佐賀県に試合にいくのも遠ざかっている。

本当、僕にとったらプロレスラーになった原点の場所。今はないのは寂しいけど、一生忘れる事のない場所である。

さあ次は植田選手にお願いします。


☆田中正人(※当時)デビュー戦
FMW 93年7月23日
佐賀スポーツセンター vsリッキー・フジ戦
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2009年06月16日

第4回レスラーズメモリー田中将斗編は17日午前0時更新

何も覚えていないというデビュー戦だったという斎藤謙選手からのバトンを受けた田中将斗選手。

レスラーのメモリーと言えば、やはりこれ。

17日更新の田中選手のメモリーも、突然に決まったデビュー戦の思い出となっております。

今や弾丸戦士として国内外のマットを駆け巡る田中選手のほろ苦いデビューとはいかに?

17日午前0時更新予定です。

お楽しみに!
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2009年06月10日

レスラーズメモリー第3回斎藤謙編「デビュー戦」

090425_0619~01.jpgえーっと、フジタミノルさんから指名を頂き(?)ました。斎藤謙です。まず最初に言いたいのはとりあえず僕アイドルレスラーでもなければ「〜げす」なんて使いませんから。僕は僕なんで(笑)あースッキリしたっ!じゃあ始めます。

メモリー……記憶・思い出って事か。この世界に入っての思い出はやっぱりデビュー戦ですかね。時間かかりましたからね〜。昔を振り返ってみます。

アレは忘れもしない確か2月か3月の中旬か下旬。北海道シリーズの函館大会でデビューしたんだ。相手は高西翔太さんでした。

高西さんとは寮の部屋が同じで、あとは…んまぁそれくらいか。でもまだ僕がファンの頃、未だに高西さんは伏せたがっているアノ「高西翔太日記」をマメに読んでいたっていう記憶がバッチリ残ってます(笑)

今は連絡を取り合ったり、たまに高西さんが田町に来られて飲んだりしてます。いろんな意味で人生の先輩なんで相談したりもしてます。

そんな高西さんとの試合は正直なにも覚えていません。低〜いドロップキックをしたくらいか?なんかフワフワしたまま終わってたな。控え室に帰って大谷さんに「おめでとう」と言って頂き、頭を撫でて頂いたのは鮮明に覚えてます。アレは嬉しかった。新弟子時代に逃げなくて良かったなとホントに思えた。

もう一つ鮮明に記憶されてるのが試合前の100本受け身。デビュー前のゼロワン恒例行事みたいな所があるんです。キツ過ぎてランナーズハイみたいな状態になってた(笑)

高岩さんの叱咤の声がすげぇ聞こえて立てない悔しさを叫び声に変えてたな。終わったら1番に高岩さんに声をかけて頂き、「頑張れよ」って言ってもらったんだ。アノ1言も絶対に忘れられないな。

ずっとリキプロで練習を見て頂き、僕をレスラーにしてくれた1人の方。今の練習生達は高岩さんに練習を見てもらってないからプロとアマの壁の高さを痛感してない。1度でも自分達からお願いするべきだと思う。

ちょっと話しが僕の意見に反れましたがデビュー戦の記憶はこんな所ですかね。

次は普段思い出話とかあまり話されない田中さんにレスラーズメモリー。

よろしくお願いします!


☆斎藤謙デビュー戦
2008年3月26日 函館市民体育館
○高西翔太(6分26秒 逆エビ固め)斎藤謙×

※画像はデビューから1年を迎えて再度訪れた函館の景色


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2009年06月03日

レスラーズメモリー第2回藤田ミノル編「タイトルは特にないです。」

200803312258000.jpg何か会社から日高郁人(ひたか いくひと)ちゃんのせいでブログ書く順番が来たからはよせえと言われたんで書くことになりました。 あぁめんどい…

メモリーって言われても試合で頭打つ度に、脳細胞と思い出が少しずつなくなってるんやけど…

今思い出せる中で割に古い記憶の初恋の思い出の話でもしてやろうか。
ワイの初恋は確か幼稚園の頃 確か名前は久保さんやったかな。 漢字が合ってるかも定かじゃないが、綺麗な顔立ちでショートカットで、かけっこがものすごい速かった。 小学生にあがる入学前に当時5年生の姉ちゃんに黒板にクラスメート名前が書き出されてるのをわざわざ見に行って
「あんたぁ 久保さんとクラスが同じじゃあねぇ 良かったねぇ」
と言われた記憶もある。しかしその私の恋は全く発展どころか何にも前進することなく終わったんである。 理由は特にはない。 悲しかった思い出もない。 それどころか綺麗な顔立ちが好きだったのか、足がぶちゃくちゃ速かった所が好きだったのかさえよく思い出せない。 ないとは思うがもしこれを見てたら 何か変な事書いてごめんなさい 久保さん。 これからもガンガン走ってください。


おはり。


さて次回は愛知は蒲郡が生んだゼロワンのアイドルレスラー
「アタイ、今までう○ちもおし○こもしたことねぇでゲス。」
が決めゼリフのサイトウ☆KeN 選手に順番を回してやるぜ ざま見ろボケィ!
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2009年06月02日

第2回レスラーズメモリー藤田ミノル編は3日0時更新!

ご好評頂いております、レスラーズメモリー。

090602fujita.JPG第2回は日高郁人選手の指名を受けた藤田ミノル選手。


そして気になる内容はなんと恋の話…。

「ZERO1 WRESTLER’S」の記憶の扉が開かれるレスラーズメモリー藤田ミノル編は3日午前0時更新です。

ご期待ください。


第一回レスラーズメモリー
日高郁人「男の引き際」は下記アドレスより
http://zero1-news.blog.players.tv/article/29395144.html
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2009年05月27日

レスラーズメモリー第一回 日高郁人「男の引き際」

毎年恒例の靖国神社大会。

開場後、リングを眺めていると「日高さん」と声がした。
振り返ると湟川満正(ほりかわみつまさ)さんがいた。湟川さんはよく会場に応援に来てくれていたが、今回は忙しいと訊いていたので遠慮していた。
と言うのも…

日高「今月一杯で東京離れるって訊いていたから、忙しいかと思って…。いつ発つんですか?」

湟川「来週発ちます!」

そう言って湟川さんはにこやかに笑った。


hori_hidaka.jpg益田市出身のキックボクサー湟川満正は昨年11月9日、ZERO1−MAX益田市民体育館大会でのエキシビジョンマッチで僕とグローブを交えてリングを降りた。

僕はプロレスラー。
そのリングに上がることを迷った。
だけど、いまは本当に受けて良かったと思っている。

終了のゴングが鳴った瞬間の湟川さんの笑顔(ちなみに僕は泣き顔)、そして「最後に日高さんとやれて良かった」と言ってくれたその言葉。

いずれも“リング上の湟川満正”からは想像も出来ない。
現役時代の湟川さんは勝っても表情を崩さず、あるときは判定負けを喫した瞬間、ロープをまたいで退場した。
そんな湟川さんだからこそふたりで共有したわずか3分間のリングは僕の心に深く刻まれている。

そして、その時間のためには小林聡さん始め多くの方の深い想いがあった。

僕が初めて引退の相手を務めたプロのファイターはキックボクサー。

湟川満正さんはいまは東京を離れて第2の人生を送っている。
いつの日か再会するときは、僕たちの故郷益田の小汚い居酒屋で語り合いたいと思う。

hori_hidaka3.jpg

次週は藤田ミノルさんに「レスラーズメモリー!」



「ZERO1 Energy '08」
2008年11月9日 島根・益田市民体育館

<全日本キックボクシング連盟ウェルター級1位 益田市出身 湟川満正選手 引退セレモニー スペシャルエキシビションマッチ 3分1R>
△湟川満正(時間切れ引き分け)日高郁人△

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